こんにちは、まぐちょです。
ここでは夫がパニック障害と診断され退職するまでの流れを書き留めていこうと思います。
備忘録ってやつかしら?
いまは症状が比較的軽い状態で退職・休養できたので、落ち着いた生活を送れている状態です。
とはいえ心の病気はやっかいなもの、心の奥底にひそむので油断はできず…
あと、生活するにもお金は必要。
そこで、傷病手当金を受給してしばらく様子をみることにしました。
国にお金を払うのは簡単だけど、給付をもらうには書類やら手続きやら面倒な事がたくさん!!
その面倒&手間な事、どうせなら記録にとどめておこうかな、とブログに書くことにしました(笑)
似たような方で困っている人がいれば、参考にしてもらえればと思います。
夫くんの心の不調と、休養するまでの記録
【目次】
1. 体調の変化
前職では、夫に精神的なつらさがあり、手の震えが出るほど追い込まれていました。
幸い、退職することで症状は落ち着き、気持ちも前向きに。
「長く続けたい仕事ではない」と以前から聞いていたので、転職のきっかけにもなりました。
次に選んだのは、まったくの未経験である現場仕事。
本人は「こっちの方が向いている」と新しい環境を楽しみながら通勤し、2年半続けることができました。
しかしある日、普段は会社の愚痴を言わない夫が、珍しく「しんどい」と漏らしたのです。
話を聞いてみると、
- 「●月までに機械作業を覚えないと昇給しない」
- 「先輩から日常的な叱責(時には仕事外のことまで)」
がストレスの原因のようでした。
昇給のために動画を撮って復習したり努力していたようですが、実際は作業に触れる機会が少なく、経験を積めないまま時間だけが過ぎていました。
先輩の件については、すでに上司へ相談していたようです。
2. 病院へ
その話から1〜2か月後。
夫から「帰り遅くなりそう」と電話があり、胸騒ぎがしました。
詳しく聞いてみると、
「動悸と手の震えが出てきたから診療所に来ている」 とのこと。
「ゆっくり話を聞いてもらってきてね」と電話口では平静を保ったものの、
心の中では
「これは退職する流れになるかもしれない…」
という焦りと不安でいっぱいでした。
帰宅後は家族会議。
夫の気持ちは以下の通りでした。
- 会社は辞めず、できれば頑張りたい
- 先輩との相性が悪く、関わるのがつらい
- 漠然と不安になり、自分の仕事ができているのかわからなくなる
とにかく「会社にも相談してみよう」という方向にまとまりました。
3. 会社へ相談
社長・上司・専務と面談の場をいただき、
今後の働き方について前向きに話し合いました。
結果として、
しばらくは軽作業に変更し、問題となっていた先輩とは距離を置く
という対応をしてくれることになりました。
昇給のチャンスは遠のいたかもしれませんが、いまは心の健康が最優先。
会社側が配慮してくれたことには、本当に感謝でした。
4. 病名の判明
しばらく通勤を続けていたある日、夫から
「次の通院、一緒に来てほしい」
とお願いされました。
私自身、先生の見立てが気になっていたので快諾。
実母に子どもを預け、診察に付き添いました。
(義実家には、この類の話はしばらく控えると夫婦で決めていました。義母が強い心配性で、かえって不安定になると分かっていたためです。)
病院の先生は少し独特な雰囲気でしたが、威圧感はなく話しやすい方。
夫の状態やこれまでの経緯をお話ししたところ、診断は…
「パニック障害ではないか」
夫自身、病名がついたことで「正体不明の不安」が少し和らいだ様子でした。
5. 退職へ
その後も1か月ほど軽作業を続けましたが、夫は次第に苦しくなっていきました。
- 軽作業ばかりさせてもらい、申し訳ない
- 周囲から“腫れ物扱い”のような対応をされる
- それがつらくて会社にいること自体がストレスになる
こんな気持ちを打ち明けてくれました。
夫の性格を考えると、
「気にしないでおく」というのはきっと無理。
私は、
「退職しても大丈夫だよ」
と伝えました。
わが家では、もしもの時に備えて
半年〜9か月ほど生活できる“生活防衛費”
を準備していました。
退職理由が精神的なものなので、調べた結果、
『傷病手当金』を受給することが最善
という結論に。
ここからは退職手続きと並行して、傷病手当金の準備を本格的に進めることになりました。
ほどよ田舎で 3人家族 まったり生活 